2013年4月26日金曜日

リンパ球過多で免疫力強すぎてアレルギーになったら

免疫学の安保徹先生たちの研究で、病気の約8割は、ストレスで白血球のうち顆粒球が増えすぎて交感神経過敏状態になることがわかりました。

逆に、リンパ球が増えすぎることは、それくらい少ないということですが、リンパ球増えすぎで起こる病気も徐々に増えています。

外来抗原と戦うリンパ球が増えすぎて、免疫力が過剰になり、発症するのがアレルギー疾患。アトピー性皮膚炎、気管支ぜんそく、通年性鼻アレルギー、花粉症などですね。

抗生物質やアスピリンなどに過剰に反応したり、虫刺されに対する過剰反応や、うるしにかぶれやすい、じんましんが起きやすいというのも、リンパ球が多い人に起こる現象です。

ストレス増加の逆なので、「リラックスしすぎ」が原因なのですが、過保護であったり、大人の場合は運動不足と食べ過ぎが続きすぎたりで、副交感神経が優位になる状態です。そこへ近年の刺激物質の増加が拍車をかけます。

リンパ球はウィルスと戦ってくれますが、増えすぎると過剰反応を起こします。炎症が激しくなり、尋常でない高熱が出てしまいます。リンパ球過多の場合は、風邪も重い症状になります。

そもそもアレルギーの症状は、抗原や異物を排泄しようとするために起こっているので、アトピー性皮膚炎などは、抗原が入ってきた部分に血流を増やして、その場所の抗原を希釈してしまおうという反応です。

気管支ぜんそくは、急速な勢いで気管を閉じて抗原を入れないようにしようと、強い息で吐き出す反応です。

こうした症状自体は不快でも、治癒反応なので、それを抑えてしまって問題の解決にはなりません。

では、どうしたら本当の治癒や再発予防になるでしょうか。顆粒球が多過ぎるときは、副交感神経優位に戻すように、リラックスにもっていきますが、リンパ球は交感神経の刺激になるように、体を動かすことが必要です。

アレルギー疾患、とくに子どもに多いのが、アトピー性皮膚炎と気管支ぜんそくで、過去数十年、増加の一途をたどっており、近年は社会生活に支障をきたす重症・難治患者が増加しています。

未だに根本原因は不明とされていますが、安保先生の免疫学では答は出ています。ガンが免疫抑制の極限で起こっているのと正反対で、アトピーなどは免疫の行き過ぎで、副交感神経優位が持続しすぎる背景があります。

赤ちゃんは泣くものですが、泣くと交感神経が強い緊張状態になります。昔はすぐにはあやさなかったといいます。ところが、今ではすぐあやす。あやされればリラックスします。これで乳飲み子のときから副交感神経優位がはじまるわけです。

さらに、食事の内容が飛躍的によくなりました。これも副交感神経優位を招きます。また、子どもが昔ほど外で遊ばなくなりました。外で遊んで体を動かすことは交感神経を緊張させるよい機会で、紫外線を適度に浴びるというメリットもありました。紫外線をあびると体は疲れます。夜は疲れているからぐっすり眠れます。

人間の子どもは、生まれた直後は肺呼吸の酸素ストレスで、顆粒球が即座に増加しますが、それは4、5日でおさまって、そのあと4歳までは圧倒的にリンパ球が多い体質が続きます。

1歳から4歳までは、とてつもない勢いで成長し続ける時期なので、その成長のエネルギーと相殺されて、リラックス過剰にならずバランスがとれます。

4歳から15歳くらいまでは、リンパ球と顆粒球の割合が接近します。リンパ球50%台ということはリンパ球過剰体質です。体が排出すべき異物との戦い方を学習していく過程ですね。

15歳から20歳ぐらいで逆転して、顆粒球60%、リンパ球35%の成人型になっていきます。つまり、15歳ぐらいまではリンパ球が多いこと自体は悪くないのです。

しかし、過保護、運動不足、肥満などであまりにもリンパ球が多くなるとアレルギーの発症に結びついてしまうのです。

アレルギー反応は、塩素、残留農薬、排気ガスの微粒子などの有害物質を排泄するために起こっていることもあります。

子どもたちの生き方が副交感神経過剰優位となり、アレルギー体質を招いているところへ、刺激物が昔より増えているので、リンパ球が過剰反応するアレルギーが増々発症しやすくなるのです。

シックハウス症候群では、住宅建材に含まれている有害物質が空気中に漂うだけでなく、気密性が高いために換気が悪くて炭酸ガスがたまりやすく、埃もたまりやすくできています。カーペットも畳に比べると埃を出しやすく、ためこみやすいのです。

アトピーはどんどん低年齢化しており、水道水の塩素がもとでアトピーを起こしている赤ちゃんもたくさんいます。体表に付着した塩素を排出しようとして、体じゅう真っ赤に腫れ上がっています。少なくとも最後は塩素を除去した水で肌をすすぐことが必要で、それを続ければやがて症状はおさまってきます。

お風呂のお湯の塩素は、大人ひとりが入っておけば体に吸着してしまうので、赤ちゃんのお風呂に使う前に大人が先に入るといいようです。

歯の治療にアマルガム(合金)が使われている場合、その中の微量の水銀が少しずつ口内に溶け出すので、これが原因でアレルギーを起こすことがあります。歯医者に頼めば安全なつめものに取り替えてもらうことができます。(最近はアマルガムをあまり使わない傾向にあるようです。)

子どもがひどい湿疹で苦しんでいるとつらいものですが、リンパ球が多いというのは、実は長生き体質だとか。子どもの頃しょっちゅう風邪をひいたり寝込んだりした人に限って長生きすると昔から言われます。

体を鍛えて、リンパ球過剰を治して対処すれば、嘆かわしい体質ではありません。リンパ球増多で逆にガンになることもあるそうですが、戦う力を元々もっているので、漢方やハリ治療で簡単に治せることも確認されています。

花粉症などで確認されていますが、栄養剤でも自律神経や免疫の調整ができます。通常免疫力の強化に貢献するビタミンCは、免疫力過多でアレルギー反応を引き起こすヒスタミンの抑制・分解も行います。

白血球が過剰反応してしまう粘膜側を、良質タンパク、ビタミン、ミネラルで強化することでも症状軽減できます。[花粉症対策(分子栄養学のススメ)参照]


とはいえ、すでにステロイドなどの対症療法で、リバウンドと薬物依存の悪循環に苦しんでいる人も多いかもしれません。ステロイドは体内にも存在する物質で、ステロイド剤を短期で適量使える医師のもとで救済された人もいますが、長期の対症療法依存は免疫力を抑えつけるのでやはり危険です。

5歳の娘が刺絡療法でアトピー性皮膚炎を克服した例を、母親の手記として安保徹先生が著書で紹介されています。アレルギーと、その対症療法の治療で苦しんでいる人すべてに参考になると思えるので一部紹介します。

生後3か月で口のまわりの皮膚がただれ始め、小児科で相談。乳児によくある湿疹で片付けられて、その後さらに悪化。口のまわりを掻き壊すので透明な液体が流れるようになり、総合病院でアトピー性皮膚炎と診断。ステロイド軟膏を朝晩塗るようになって、すぐに炎症は治りました。

でも、全身汗ばむほどの場所にいても、ステロイド剤を塗っている口のまわりだけが真っ白で血の気がないことに気づき、よほど症状がひどい時以外はステロイドは極力使わないようにしていました。

4歳で幼稚園のプールに入るようになるとアトピーが悪化し始め、全身に湿疹が広がり、プールをやめても、ステロイドをぬっても肌の状態が戻らず、かゆさのためか夜もよく眠れず、昼間はぼんやりするようになり、子どもらしさがなくなっていきます。

福田稔先生の薬を使わない刺絡療法を知って相談に行ったとき、先生は、この子の両手足の指と頭頂部に針をさしながら、足をさすり「こんなに足が冷えてちゃ、つらいよな。もうすぐあったかくなるからな」と言われたそうです。

ステロイドの副作用で体の血液が滞っていたのです。週2回の通院が始まり、最初の2週間はステロイド離脱のリバウンドに苦しみましたが、その後食欲が旺盛になり、積極的に遊びたがるようになり、風邪をひかなくなりました。しょっちゅう肺炎や気管支炎をくりかえしていたのが、一冬風邪をひかずに乗り切ったそうです。

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安保徹先生の免疫革命ではステロイドについて、引用したいことがたくさん出てくるので、こちらに入れておきます。↓
ステロイドはアトピーを治さない
ステロイドの副作用は精神生活にまで害を及ぼす

ムヒなどの虫刺され薬も、一時はステロイド入りかどうか小売店で表示されましたが、すぐに取り止めてしまったので要注意です。

★この記事はメールマガジン、栄養で被ばく・ガン・ウツと闘う「アンチエイジング」でも配信しました。

2013年4月21日日曜日

三井温熱療法で知った体じゅうの冷え


所用で東京に行ったついでに、浅草にある三井温熱の東京サロンで注熱治療を受けてきました。



三井温熱療法というのは、60歳で教職を退いてから3年かけて鍼灸や指圧の学校に通い「あんま」となった三井と女子(みついとめこ)先生が開発した治療法。シャワーのような形をした温熱器で背骨を中心に体に遠赤外線の熱刺激を与えます。

免疫学の安保徹先生や刺絡療法を行う福田稔先生がそうであったように、三井先生も、ほとんどの病気はストレスと冷えが自律神経の乱れを起こすことが原因と考えました。自律神経や血行に影響する温熱やリラックスの効果は、全身に運ばれる栄養の効果を考えるときにも無視できないので、今回は体験談としてとりあげます。

このシンプルな温熱治療器が冷えやコリだけでなく、ガンを含む多くの病気を治してきたという驚くべき経緯があるのですが、統合医学医師の会の講演会で前田華郎先生が紹介されています。

前田先生は、横浜でマイクロ波の波動共鳴を使って、より効率的に難病患者を治療されていますが、ご自身が前立腺がんにかかったときには未だ共鳴医学の事を知りませんでした。そこで、既に面識のあった三井先生の温熱治療器を購入してガンを治したそうです。(その後、念のため開腹手術したときに出てきたガン細胞はほとんど死んでいたとか。)

この経験から、前田先生は色んな病気のセルフケアのために、遠方の患者さんや講演会の聴衆に、三井温熱治療器を勧めています。

このタイプの温熱治療器は7~8万円とちょっと高価ですが、例えば保険を使っても百万円以上の治療費がかかる難病の予防や早期治療ができると確信が持てれば購入する価値はあるかもしれません。(特許が切れて需要が増えると遥かに安くなるとは思いますが。)

私の場合、昨秋から半年たっても完治しない妙な気管支炎と、内部被曝の影響と思われる軽い鼻血が気になるので購入。体にとりこんだ放射性物質が熱で排出できる場合があるとも考え購入しました。
http://ameblo.jp/chihointokyo/entry-11505087146.html

温熱器で設定できる温度は熱刺激に効果が認められている45℃以上の5段階で、45℃、55℃、60℃、65℃、70℃。

背骨からスタートして2~3秒ずつ骨や筋肉に軽く押し当てていきます。健康な箇所は温熱をあてると気持ちいい熱さ、問題がある箇所は、ギャーとかアチチという焼け火箸を当てたような熱さを感じます。我慢は禁物なのですぐ離しますが、周辺を温めたりしながら続けます。

毎日繰り返し注熱して体を温めているうちに治ってくると、激しい熱さがとれて、気持ちいい熱さになるそうです。

私の場合、55℃や60℃をよく使いますが、背骨や肩だけでなく、胸腺や甲状腺などあまりに全身あちこち「ギャー」という熱さなので、使い方を間違っているのではないかと思い、プロに診てもらおうと思ってサロンに行ったのでした。

結果、なんと全身冷えまくりであちこち滅茶苦茶硬かったのです…。三井温熱サロンではプロ用の86℃設定の温熱器で、肌表面に小さな円を描くよう感じで、すばやくなでるように注熱していきます。

なでているだけなのに、やはり火箸を当てられたような「アチチッ」で飛び上がりそうになることの連続でした。つまり私の体には悪いところがたくさんあるわけです。

衣類、寝具、カイロで冷え予防は徹底しているつもりでした。ジムで筋肉をつけてからは代謝はいいし、ヨガやピラティスではストレッチによるリラックスとのバランスもいいし、食事とサプリで良質タンパク、ビタミン、ミネラルは摂っているし、以前悩まされた便秘もほとんどない。内部被曝で呼吸器が多少やられてたとしてもなぜ冷えがそんなに…。

ここで思い出しました。生理痛がひどかった頃、鎮痛剤は必ず飲んでいました。月に1、2日といえども20年以上。カゼをたまにひくと、すぐ風邪薬を飲んでいました。これら消炎鎮痛剤は極度に体を冷やす薬です。喉の腫れがひどいと抗生物質まで処方してもらっていました。当然、免疫力は低下します。

そして、いま睡眠導入剤デパスの減薬中です。熟睡をサポートしてくれる睡眠剤ですが、これも長期で体を冷やします。昨年までは半減期がもっと長いユーロジンも一緒に15年ぐらい毎晩服用していました。

天然成分の栄養剤に切り替えるべく、5-HTP(5-ヒドロキシトリプトファン)メラトニンなどの体内に存在する物質のサプリを摂っていますが、一方でデパス1mgを半分の0.5mgにしようとする段階で手間どっています。

しかも、震災直後まで住んでいたマンションでは浴槽に問題が多く、5年くらいの間、ほとんど毎日シャワーでした。お風呂でも長湯は苦手です。

三井温熱サロンの治療師さん曰く、「毎日自分でもやったほうがいいですよ。こんなに全身あちこち硬くて冷たいと眠れないですよ。」

なるほど、長期で体が冷える薬の服用を行ない、副交感神経が十分に働かないことが大きな原因で、眠りの問題が解決できていないのだと思いました。

サロンを出た後は、前夜の夜行バスでの寝不足がウソのように体が軽く楽になっていましたが、その夜以降もやはり自分の温熱器を当てると、肩や背中、甲状腺、胸腺、そして腎臓のあたりなど「アチチ」の連続です。

寝つきが悪くなった人でも、軽度であれば、ビタミンB群の補給だけで治るといいます。睡眠や体温調整に関与するセロトニンという脳内合成されるアミノ酸の働きを取り戻せます。また、そのままセロトニン生成に直結する5-HTPというハーブを摂取すると、より効果的に不眠解消に効果があることがわかっています。

ビタミンB群はアミノ酸が神経伝達物質として生成されるときの化学反応に必要とされるので、タンパク質やアミノ酸が十分存在し、機能しているときはビタミンの補給だけで済むわけです。

(ちなみに、不眠に効果がある物質は、そのまま抗不安、抗ウツの効果があるものが多いです。そして寝不足が引き起こす免疫力低下も予防できます。)

眠りのために、副交感神経が優位な状態を求め、そのために必要な栄養をたくさん摂っても、肝心な箇所の血流が悪くて冷えたままだと、眠りたい時間になっても交感神経が優位なままで眠れません。

薬は人体が本来持っている機能を抑制して代理として自らが働いてしまうので、機能が抑制されたままの細胞周辺の血流が滞ってしまうと考えることもできます。これが長期間繰り返されたために、私の体は運動やサプリを含む飲食では簡単に戻らないほど、あちこちが冷えてしまったようです。

さらなる減薬(そして最終的な断薬)と栄養の補給でも副交感神経を正常な状態に戻すことも可能かもしれませんが、やはり並行して体を温めることは重要だと思いました。

もともとお風呂が好きな人は、お湯に浸かる回数や時間を増やすだけでも治癒の効果がアップするはずですが、そこまで風呂好きな人であれば、すでに免疫力が高く、副交感神経が十分機能しているかもしれません。濃いコーヒーを夜に何倍飲んでも、睡眠は全く影響されないという知人がいましたが、無類のお風呂好きで、最低30分は湯船の中という人でした。

三井温熱器は、2~3秒ずつピンポイントで動かすだけなのに、60分タイマーの半分が過ぎる頃にはお風呂上りのように体の芯からポカポカしていることが多いです。

★この記事はメールマガジン、栄養で被ばく・ガン・ウツと闘う「アンチエイジング」でも配信しました。


三井温熱治療器II
【使いやすくなって新登場!医療機器の温熱療法器】

2013年4月12日金曜日

リンパ球アップで免疫力アップ


みなさんはお医者さんに会う時にどれくらいの時間を問診にかけてもらっていますか?これまでの人生や日頃の生活習慣について、質問されたことはあるでしょうか。

本気で患者さんを救いたいと願う医師や治療家らが必ず行なっているのが、苦しみをもたらした原因を知るための問診です。

白血球のうち、顆粒球が60%を超えるほど多くなると(つまりリンパ球の比率が下がると)、本来細菌などを分解・紛糾するために出す活性酸素が粘膜などの細胞を破壊してしまうという話をしました。

リンパ球も増えすぎるとアレルギーなど様々な害が出ますが、それは比較的稀で、病気の8割は、
 心身へのストレス⇒交感神経の緊張⇒顆粒球増多
によることが確認されています。

これは、安保徹先生や福田稔先生が、いわゆる難病の患者に、丁寧な問診をしてきたことによる結論です。

現代医学は、例えばガンの原因を発がん物質に見いだそうとするのですが、実際に問診してみると、ガンを発症した人が特別に発がん物質を多く取りこんでいたり、紫外線に晒されていたりという事実がなく、約8割の人に共通するのが、心身になんらかのストレスを抱え、非常につらいことを経験していたということです。

これには、冷房が強すぎる職場で長期間過ごしていたことなども含まれます。また、不要な薬物を長期間服用していた例もあります。

「交感神経が優位」というのは、良くも悪くも興奮状態で、血流が悪く、体が冷えている状態です。

ほとんどの病気と闘うためには、食事や睡眠のときに使われる、リラックス状態をもたらす副交感神経が優位になっている必要があります。

交感神経優位が続きすぎると、寝付けなかったり眠りが浅かったりして、血行が悪くなり、そのために免疫力(リンパ球の数や比率)が下がって悪循環に陥ります。

安保先生たちが、よそで医者に匙を投げられた患者のために最初に行うことは、処方されてきた薬をやめさせることです。

体のどこかが調子悪くなると、自然治癒反応としてリンパが血流を増やし、熱や痛み、腫れなどの不快な症状が出ますが、現在の薬物療法ではその表面的な不快感を抑えつける薬を飲ませます。
これは体の正常な反応を抑えつけるものです。

たとえば、生理痛などの痛みは冷えが原因なのですが、消炎鎮痛剤は痛みの感じ方を鈍らせると同時に血流を下げて体を強く冷やす働きがあります。表面的な不快感を下げると同時に、不調の根本要因は増やしていることになります。

月経困難症、子宮内膜症、子宮筋腫、肺管炎、卵巣嚢腫なども、冷やされたり、消炎鎮痛剤を長期間服用しすぎて起こる病気だと考えられます。

ガンや膠原病などにも同じ論理が当てはまります。

ガンが発生する場所は、皮膚と神経の上皮や、消化管と肝臓の上皮など、いつも組織が再生して細胞分裂が盛んな部位です。増殖の失敗も起こるし、老廃物もでます。すると顆粒球が押しかけます。
こうした場所には常在菌も存在するので、顆粒球が出す活性酸素に晒されやすくなります。

劣悪な環境のために正常細胞がガン細胞を出す遺伝子に変わることは既に知られるところです。交感神経緊張状態で、顆粒球が押し掛けた状態で細胞分裂を強いられるときに、活性酸素が増殖遺伝子のDNA変化を起こし、それがガン細胞をつくる指示に変わって発がんします。

(リンパ球の絶対数が少ない状態である免疫不全が長く続くときにも発がんします。)

顆粒球の比率を下げ、リンパ球の比率を高めることで免疫力が上がり、ガンの原因を取り除けることがわかってきています。

ガンというのは、実はリンパ球に殺されやすいので、リンパ球の数をあげるような生活をしていると、なかなかかかりません。実際私たちの体内では毎日百万個のガン細胞が生まれていると言われますが、簡単には発病しません。

ところが、がんセンターなどで抗がん剤を使う場合、増殖細胞そのものを正常細胞かガン細胞か区別することなく攻撃します。また、見かけの不快感に対処するため、ガン細胞を殺してくれるリンパ球を痛めつけます。

ガン患者のほとんどは、リンパ球が30%を下回る免疫抑制状態だといいます。副交感神経を刺激するような生活にもっていき、リンパ球が30%を超えるようにすれば、ガン細胞が自然退縮していくことは既にわかってきています。

膠原病など他の病気を予防・治癒するにも同じことが当てはまります。

リンパ球の数、つまり免疫力を上げるためには、リラックスしやすい環境を作り、食事で腸管を使い、よく眠り、そして、よく笑うことです。

実際、吉本新喜劇を長時間楽しんだあとの患者たちのリンパ数が非常に高くなっていたことや、膠原病で治療法がないと言われた人がひたすらコメディを見て好きな物を食べているうちに病気が完治してしまった例など、笑うことによってリンパ球が増え、免疫力がアップすることはよく知られています。

こう考えてくると、ガンが怖い病気だと思い込んだ人々による「余命告知」とはなんの意味を持つのでしょうか。

そもそも「余命」などいつからわかるようになったのでしょう。

患者を診ながら、顔つきや肌の色まで見分けがつくようになることはあり得ます。実際、手のひらや足の裏以上に、顔は体中の状態が部位ごとに現れることがわかってきています。(バイ・ディジタルO-リングテストの大村恵昭医師の「顔を見れば病気がわかる」参照。)

でも、そうした経験や能力がない場合は、病院を中心としてとった統計値に基づいたデータで余命宣告しているにすぎません。

代替医療など保険医療以外の療法で多くの命が救われていることから考えると、治療に失敗して死なせている医療機関のデータが元になって作られた「余命」データです。

治療法があることも知らずにガンだと告知されれば、それだけで免疫力は大幅に低下します。リンパ球の数が減り、交感神経が緊張状態になって顆粒球が増え、ダメージを受けやすい状態が作らます。

自分で気持ちを切り替えられない人にはとても役立つのが、抗鬱効果と鎮痛効果が高く、薬物の副作用まで抑えてくれるビタミンCなのですが、保険医療では1日2グラムまでしか許可されません。

また、副交感神経を刺激するアセチルコリンという神経伝達物質を肝臓で作るにはどんな栄養素が必要かも考慮されません。(例えば、不足しやすいコリンにはレシチンが有効。)

余命告知を受けて代替医療で完治した人のエピソードでよくみかけるのが、他の医療を受けたことを内緒にしてがんセンターの検診に行った場合の主治医の言葉です。「あなたと同じ症状だった患者さんたちは、みんな1年以内に亡くなりましたね」と。

単に治療法が異なるだけでなく、治るという希望があるかないかでリンパ球の数も大きく違っているかもしれません。



2013年4月8日月曜日

人生最大のストレスを体験する出生時

私たちの自律神経には、交感神経と副交感神経があり、そのバランスが大事ということは心療内科の医師らもよく口にするところです。

筋肉を使ったり、ストレスを受けて興奮しているときに活発なのは
 -→交感神経。
リラックスしている時、睡眠時、飲食物の消化時に使われるのは
 -→副交感神経。

これら自律神経に関して、白血球との関係を研究してきた免疫学者、安保徹先生の、新生児に関する発見のお話を紹介します。

ほとんどの疾患の原因や改善方法が、人体の仕組みの中で共通しているという
認識で、このブログでも栄養素を何度かとりあげてきました。

  

a - 赤血球、b - 好中球、c - 好酸球、d - リンパ球

今回は栄養素は登場しませんが、全身にいきわたる自律神経や白血球に注目した免疫システムを考えると同じことが言えるため、そこに注目します。

自律神経である交感神経と副交感神経の働きは、骨髄から出る白血球の構成の変化に関係しています。

白血球は、ふだんは血液の中をくまなく循環しています。重量比では赤血球96%に対してたった3%ですが(1%は血小板)、異物が入った時にいつでもその現場に辿りつけるように監視体制をしている細胞です。

白血球は大きくわけて次の3種類あります。
●マクロファージ、
●顆粒球(かりゅうきゅう)、
●リンパ球

顆粒球とリンパ球はマクロファージをもとにしてうまれたものです。

マクロファージは血管を流れるときはふつうの球状ですが、アメーバのように居場所によってその形を変え、異物があれば飲み込み、炎症があるとその場へかけつけるという白血球の基本細胞です。

たとえば、血液の中に墨汁を入れたりすると、まず血管内皮細胞がどんどん墨汁の微粒子をのみこんで、血液中から排除します。すると、マクロファージがやってきてのみこみます。これは栄養にもならないし、酵素でも分解できないし、と判断して、時間をかけて腸に運んで排泄するかあるいは肺に運んで痰にして出します。


生物が進化するにつれて、処理しなければいけない異物も多用になったので、基本のマクロファージから、
 ●貪食能を強めた大食いの顆粒球 と、
 ●貪食能を退化させ、接着機能で免疫を司るリンパ球
ができました。




白血球のなかのマクロファージは5%ぐらいで、顆粒球が60%、リンパ球が35%ぐらいの比率です。





顆粒球はマクロファージよりさらに大食いで、細菌の様な粒子の大きい異物を丸ごと飲み込んで、消化酵素と活性酸素を使って分解・紛糾します。

花粉やダニの死骸などが微生物などによって分解された果ての粒子など、微細な粒子だと、小さすぎて飲み込み作用が働かないので、接着させて異物を捕らえるようになったのがリンパ球です。

リンパ球は接着分子を使って、微細な抗原(ウィルスなど)を処理する免疫系をつくりあげました。

厳密な意味での免疫というのは、このリンパ球の働きであって、顆粒球が細菌などをのみこんでその場ごとに処理することは免疫とはいいません。

顆粒球もリンパ球も、異物排除には重要ですが、どちらも過剰になると体によくないことをひき起こします。

今回はストレスで増加する顆粒球についてみていきます。

顆粒球は、ほんの1~2日の寿命の細胞です。骨髄で作られて、血流の中に出て、最後は粘膜で死にます。このルートで顆粒球が活性化すれば、あちこちの粘膜が破壊されていきます。

たとえば、皮膚の上皮。寝不足だったり夜遅くまで仕事をすると、翌朝の髭そりやお化粧のときに、ポツポツ吹き出物のようなものが出ているのがみつかったりしますよね。

皮膚は破壊されにくいのですが、その下にある皮下組織や汗腺はとても敏感で破壊され易いので、顆粒球が増えすぎるとブツブツになってしまいます。

重要なのは、細菌による感染症になっているのでなく、ただストレスがあれば単独で顆粒球が血中や組織中に激増し、しばらくすると粘膜に辿りついて、そこで組織破壊を起こすというメカニズムがあるということです。

こうした顆粒球増多のストレス原因説を裏付けているのが新生児だったのです。

大人の白血球の数はだいたい(血液1マイクロリットル中)5~6千個で、1万個を超すことは滅多にありません。ところが、新生児は出生時の白血球が1万5千個もあり、そのほとんどが、顆粒球です。

ものすごいストレスに晒されたということです。

ここで大抵の人は狭い参道を通ってくるストレスだと考えるのですが、安保先生の考えは違いました。調査で確認されたのは次のとおりです。

母親の胎内からこの世に出てきたときの一番の変化は酸素の取り入れ方です。へその緒で血流を通して母体経由で酸素交換をおこなっていたのがオギャアと泣いた瞬間に、自前の肺が膨らんで酸素を採り入れる方法にかわります。

このとき体内に入ってくる酸素濃度も一気に上がります。そして代謝が一気に上がりストレスとなります。

楽に鳴き声を上げている赤ちゃんはなく、まるで死にそうなくらいに苦しそうな、真っ赤に鬱血した顔をしています。(だから「赤ちゃん」と呼ぶんですね。)

そして酸素を吸って白血球(とくに顆粒球)がどんどん上がって、泣きやむころには「顆粒球増多症」が完成しています。

これは新生児に起こる一連の現象の謎解きにつながっています。

新生児は生まれてすぐにはミルクを飲むことができないので、1、2日の間は体重が減り、身体もしぼんでしわしわになります。これは、酸素の吸い過ぎで興奮して顆粒球が増え、交感神経が極度の緊張状態にあるためです。

消化器官の働きというのは、副交感神経が支配しているので、交感神経緊張状態にあるうちは、おっぱいにしゃぶりついても飲めないのです。その後、2、3日めには興奮が完全にとれて飲めるようになります。

赤ちゃんの顆粒球は血管だけでなく、肝臓でも増えていて、肝障害のような数値が出ます。

胎内にいるあいだは肝臓で造血を行なっているのですが、この世に生れ出ると同時にその機能は、骨髄に移されるのです。すると、肝臓で作られた血の中にあった胎児型ヘモグロビンをもった赤血球が壊されます。これが黄疸がおこるしくみだったのです。

新生児黄疸は生まれて1週間目ぐらいにおこりますが、私たちが打撲で内出血をおこすときも、最初紫色だったのが1週間くらいかけて沈着変性してから黄色くなるのと同じです。

この新生児の顆粒球増多の真相は、私たちの病気がどうやってつくりだされるかを解き明かしています。

新生児黄疸でおこっている、
「ストレス⇒交感神経緊張⇒組織破壊」

を基本に考えると、
他にもストレスで起こっている組織破壊の病気が沢山あることがわかります。

歯槽膿漏、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、潰瘍性大腸炎、クローン病、痔疾など、どれもストレスが原因で粘膜に破壊が起こる病気です。粘膜で組織破壊が起これば、急性膵炎、急性腎炎、突発性難聴などが起こります。

対症療法は解決にはならないので、ストレスの解消をすれば病気は治癒に向います。

実はここから、膠原病や発がんのメカニズムまでみえてくるのですが、長くなるのでまたの機会にします。

2013年4月4日木曜日

白内障の失明リスクを克服した物理学者、三石巌のメガビタミン

前回は、メガビタミンという言葉をつくったストーン博士の話で、ヒトが遺伝的に必要としているビタミンCの量は、グラム単位、病気などストレスと闘うときには数十グラムから百数十グラム摂取するという話でした。

普通の食事だけで健康に生きてきた人なら、ビタミンCの大量摂取の必要性は感じにくいと思いますが、これは40歳ぐらいまでは、代謝によって、体内の栄養素が上手くリサイクルされたり、免疫力が高いためかもしれません。

なんでもない動作でアキレス腱が切れたり、ぎっくり腰になったり、ガンやその他の難病にかかりやすくなるのは中年以降、つまり体の老化が関係しているわけですが、ひとつには必要な栄養素を体内保持できる量や時間が少なくなっていることがあります。

元々物理学者であった三石巌氏(1901-1997)が、独自の分子栄養学(三石理論)を立ち上げるきっかけとなったのは還暦を迎えた年でした。

ひどく目が霞むので大学病院の眼科へ行ったところ、「白内障で、2~3年もすれば見えなくなるでしょう」と言われたのです。当時の医学では白内障の治療法がなかったのですが、これを機に自分で白内障を治す決心をした三石先生が着目したのが栄養でした。

文献によれば白内障の原因はビタミンCの欠如であるとされていたので、浴びるようにそれを摂れば、完璧に治癒できなくても進行を止め、失明は予防できる可能性が高い、と考えました。そして自分でビタミンCの注射を打つまでになったのです。

結果、失明しなかっただけでなく、90歳を過ぎても執筆・講演活動を活発に行い、夏は水泳、冬はスキーを楽しみ、細かい譜面を見ながらパイプオルガンを弾くような生活を送っていました。300点を超す著作の大半は、60を過ぎてからのものです。アンチエイジングの研究も他人事ではなく「自分ごと」でした。

そんな三石先生が、なぜ大量のビタミンC(メガビタミン)が必要なのかを説明するために、たてた仮説が「カスケード理論」です。カスケードとは、「段々滝」のことですが、段々畑や棚田と構造は似ています。
 

経口摂取や静脈点滴・注射など、「上流」から流れてくるのはビタミンCで、それが何に優先的に使われるかは、個人差があります。風邪予防物質の生成やインシュリン合成に最優先して使われる人も居れば、白内障を予防する物質の合成の順位が高い人もいるという考え方です。

三石先生が白内障にかかったとき、何十年も同じものを食べてきた奥様はかかりませんでしたが、後に認知症など別の病気を発症しました。そこで、奥様の体内ではビタミンCが白内障予防の優先順位が高いと考えました。

生体内のタンパク質を作るための化学反応は3000種類あると言われますが、ビタミンC(分子構造 C6H8O6)はその大半に関わっています。つまり、この段々瀧の段数は4桁にものぼるのです。

三石先生の考えでは、優先順位が低い機能にまでビタミンCが行き渡るようにするには、途中で使われたあとも持ちこたえる量が投入されている必要があり、そのために大量のビタミンCを摂る必要があるのでした。

ただし、ビタミンCが活躍するときにも、そのうち2%は活性酸素を発生するので、三石先生は自称メガビタミン主義ながらも、1日に10g以上のビタミンCを摂るときは注意が必要と言っています。(病気などのストレスによっては日ごろの数十倍の量が必要になることも認めています。)

とはいえ、ポーリング博士はストーン博士並みに1日数十グラムのメガビタミンを摂っていたのですが、93歳までの長寿でした。同じ年生まれの三石先生は、ポーリング博士の死因がガンであると聞いて、「そのような気の毒なめにあったのは」ビタミン量が多過ぎたのではないかと言っているのですが、三石先生もそれからあまり遠くない95歳で亡くなりました。スキー旅行中の肺炎だったそうです。(余談ですが、研究生活中、臓器の中で肺への言及だけがほとんどなかったそうです。)

ポーリング博士は両親とも病弱で若くして亡くなっていることもあり、あまり長寿の家系ではなかったようなのですが、三石先生は遺伝的には長寿でした。

ともあれ、健康で頭脳明晰なまま90代までの長寿という点では1901年生まれのふたりの科学者は、それぞれの持論の正しさを証明したとも言えます。

95歳のときに三石先生が書かれた医学常識はウソだらけ: 分子生物学が明かす「生命の法則」には、ポーリング博士ら、ビタミンCでの健康長寿をなしとげた科学者らの思いを代表するようなことばが随所に出てきます。

”なぜ、医者が口にする「医学常識」を無視しているのに、95歳の私がいたって健康でいられるのか。答えは簡単である。医者の持っている知識が間違っていて、私が正しい知識に基づいた生活を送っているからである。
医者にかからないからといって、私が健康管理をおろそかにしているわけではない。科学者として理論的に正しいと信じる方法で、健康を自主管理している。そして、私の方法と医者が信じている「医学常識」とのあいだには、あまりにも一致しない点が多い。
だから私は医者にかからないし、医者の世話にならなくても夏は水泳、冬はスキーを楽しむほどの健康を保っていられるのである。”
残念ながら、大学で教える医学も栄養学も今でも「古典」領域からほとんど出ておらず、医大ではその古典「栄養学」や古典「生物学」でさえ必須科目には入っていないといいます。

本当に日進月歩である先端科学は医学や医療の現場ではほとんど顧みられることはありません。(実際には、共鳴医学などの先端分野は、既存の科学界でもオカルト扱いされています。新しいものが市民権を得るには時間がかかるようです。)






2013年4月3日水曜日

時速130キロ正面衝突の大怪我から生還したストーン博士 - ビタミンCの底力

2月の記事、「コラーゲンをつくるにもビタミンCが要る」に関連するエピソードです。

点滴療法研究会の動画にも登場するDr スティーブ・ヒッキーの共著である、VITAMIN C: The Real Story(ビタミンC、本当の話)からの引用が中心です。(英語原文の抜粋メモはこちら⇒Re: Irwin Stone, PhD


ビタミンCの研究でポーリング博士に大きな影響を与えた重要な研究者のひとり、アーウィン・ストーン博士(1907-1984)にまつわるエピソードをご紹介します。

今ではビタミンCを食品保存料として使うことはありふれたことですが、この酸化防止方法は、工業科学者であったストーン博士が考案した技術でした。

これをきっかけに、博士はビタミンCに関する26の特許をとり、120の論文を書いています。そして、ビタミンCが商品として入手できるようになってからは、自分の食生活に積極的に取り入れるようになりました。研究するうちに、大量のビタミンCが体にとって非常に重要と確信するようになったためです。

ストーン博士はヒトが自分で体内合成できないビタミンCを遺伝的に必要としており、それを食事によって補う必要があると考えました。実際に体が必要とするビタミンCの量は、国が定めた1日の所要量の100倍以上だとしています。

これは、ビタミンCを体内合成できる他の哺乳動物がつくる量をもとにしており、この必要性を無視すれば命に関わることになると、何度も提言しています。

たとえば、乳幼児が眠っている間に突然呼吸が停止して死亡してしまう、乳幼児突然死症候群(SIDS)は、母親が妊娠中に十分なビタミンCを摂っていないことが原因で、潜在的な慢性壊血病にかかって生まれてくる、というオーストラリアの医師らの報告があります。

壊血病はビタミンC欠如のために、体中の細胞どうしの繋がりが弱くバラバラになって破壊されていく病気ですが、ビタミンB1不足が原因とされる脚気に似ています。歯茎の出血などで始まり体じゅうの皮膚、骨、血管などの細胞が壊れて苦しみながら死んでいく辛い病気です。

ストーン博士は、ビタミンC欠如が認識されないがために、毎年1万人以上の赤ん坊が、防げるはずのSIDSで死亡していると警告しているのですが、医学界は壊血病というのは過去の病であるとして、それを無視し続けました。

戦後、食料が豊富になりましたが、ストーン博士は、壊血病は一般に認識されるより実際には、はるかに広く罹患しており、ビタミンCを「微量栄養素」として扱うのは間違っていると考えていました。
ビタミンは、ミリグラム単位ではなく、グラム単位、それも1日2桁3桁のグラム数が必要と考え、ビタミンの大量摂取を表す「メガビタミン」という言葉を作りました。

微量でいいような誤解を招く「ビタミンC」という名称を嫌い、代わりに学名である「アスコルビン酸」(Ascorbic Acid, Ascorbate) という呼称を博士が好んだことはよく知られています。これはビタミンCの研究者が共有する思いでもありました。

ライナス・ポーリング博士は66歳の時に、ストーン博士に出会ったとき、発展を続ける科学を見届けるために、あと25年くらい長生きしたいと話したところ、ストーン博士は、「メガビタミンをとることで、達成できますよ」と言ったそうです。ポーリング博士は、その後、93歳まで元気で頭脳明晰のまま長生きしました。これもよく知られるエピソードです。

この毎日数十グラムを摂取する「メガビタミン」主義によって、ストーン博士はその後、友人や自分の命を救うことになります。

ある時、旅先でストーン博士夫妻が車での移動中、泥酔した女性ドライバーが時速130キロで正面から突っ込んできたため、車は大破、夫妻も通常なら搬送する間に死亡するほどの大怪我をして病院に運ばれました。

博士は右腕以外の四肢の関節を含む全身骨折で、大量に出血しており、ショックによって死亡する可能性が高い状態でした。が、5つもの大手術を連続して受けたにも関わらず、夫婦は3か月経たないうちに、3000kmの列車の旅で病院から自宅に戻ったのです。

ストーン博士は車のハンドルが食い込んだために喉が深く傷ついていて、医師は、もう二度と喋ることはできないだろうと告げたのですが、帰宅2ヶ月後には話せるようになったのでした。

入院中、意思表示ができるようになってすぐに、1日50~60グラムのビタミンCを求めたそうですが、それが快復を助けたことは否定できません。また、重症からの全身の治癒が早かったのは、何十年もの間、メガビタミンを摂ってきたためであるとしか考えられないと博士は言っています。

ビタミンCが疾病を治癒するだけでなく、体の細胞組織を強化する一例としては、「コラーゲンを作るにもビタミンCが要る」という拙ブログ記事をご参照ください。
⇒http://post-311.blogspot.jp/2013/02/blog-post.html)

1982年にストーン博士は、ビタミンC発見によるノーベル賞受賞者であるセント-ジェルジ博士に手紙を書いているのですが、その中で、末期ガン告知された友人の話が出てきます。

その友人は44歳で前立腺ガンと診断され、外科手術や放射線治療を受けたものの、骨盤に広く転移をしたために余命1年と告げられたのでした。1978年11月のことでした。

ストーン博士のアドバイスで、1979年からこの友人は1日80グラムのビタミンCを飲むようになり、医者が死を予告していた時期は過ぎても全く健康に問題はなく、毎日元気に過ごしているとのこと。

見た目は、末期ガン患者というより、アスリートのようだと書かれています。この頃、この元(?)ガン患者は1日のビタミンCの摂取量を最大150グラムまで上げていたようです。

この話は、ストーン博士が繰り返した「メガビタミンの必要性の認識は命に関わる」という提言を裏付けることにもなりました。

約100グラムとなると、栄養素というより、肉や魚の感覚ですよね。
メガビタミンの歴史でも、経口摂取でこれほどの量をとるというのは、珍しいです。アスコルビン酸は、そのままだとお酢程度の酸味があって、カプセルなどに詰めないと何十グラムも飲み切れません。

(ビタミンCは強酸だという人がいますが、それは間違いで、お酢程度であれば、胃酸がうまく消化できます。)

ストーン博士は熟知していたことですが、ビタミンCは水溶性なのでそのままの状態では簡単に排泄されてしまうこともあり、1日中頻繁に摂らないと効果が薄れてしまうのです。(だからこそ大量摂取しても安全なのですが。)

ポーリング博士は、ビタミンC粉末を詰めたカプセルを胸ポケットに入れていて、会話の途中でも頻繁に口にそれを放り込んでいたといいます。ストーン博士に倣ったのかもしれません。

栄養素はどれも大事ですが、良質タンパク質とビタミンCほど大量に必要で、不足しがちなものは他にないといいます。タンパク質なら体のどこに使われているかすぐ想像がつきますが、ビタミンCも微量ではすまないのです。

では、なぜビタミンCは、タンパク質並みに大量に必要なのか、これには、分子栄養学を確立した三石巌氏が、「カスケード理論」という説得力のある仮説を立てています。

ビタミンCは、骨や肉、血管などのコラーゲン生成に寄与したり、抗酸化作用で疾病を予防や治癒したりしますが、で全部3000くらいの働きがあると考えられています。
主に酵素が働く場合に使われます。

体のどこに優先されるかが、個々の遺伝子によって異なることを解き明かしているその「カスケード理論」を、次回はご紹介します。

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病院に縁が薄い健康家族たちへ - 父の死の本当の理由

一年前の今ごろの私は、後期高齢者の親を持ちながらも、難病告知が身内に起こるのは遠い将来のことだと思っていました。

ガンの原因が遺伝とみなされるのは5%以下だと知っていたのに、「2人に1人」がガンになる、と生保や共済が宣伝(?)していても、自分たちには縁がないと思っていました。

その時の私と同じくらい楽観的な人に、もし万一のことが起こったら、この記事に帰ってきて読んでもらうために、後悔しないための情報を記すことにしました。

この先を読まなくても、こちらのサイトには行ってみて下さい。
統合医学で健康になる会
難病扱いされている疾病に対して最新で最良の選択肢を提示してあるはずです。見るべき動画、読むべき本が遠回りせずに発見できます。


発病した当人が病を克服したいと願うときはもちろん、安らかに終末をおくりたいと思っているときでも、この国の医療の真実をしらなければそれは叶わないということは、そのときにならなければわからないのです。介護・看護にまきこまれたら、情報収集の時間も捻出できないことがあります。

1日100g超の超高濃度ビタミンC点滴療法 体験談”は、軽い言語障害から3か月、脳腫瘍の末期告知を受けてから2か月半という短期間で死に至った父の闘病記となってしまいました。点滴療法でのビタミンCの量が十分だったはずのときに、それを盆休みのために中断せざるを得なかったことで、高濃度ビタミンC点滴療法の抗がん作用の恩恵は十分に受けられないままでした。

しかし、たとえこの療法を中断していたとしても、腫瘍を後退させる手立ては他にも多数存在しており、進行を遅らせながら、ある程度の回復、完治さえ本当は可能であったと考えています。代替療法がどれだけ多くの人を救ってきているか、そのメカニズムを知れば知るほど、治って当然の病だったとさえ思うのです。

思えば、腫瘍による麻痺の進行や言語障害は出ていたものの、父の健康状態は入院3日めの夕食でムセから痙攣発作を起こすまでは、非常に良好で、筋力も大半は残っており、自分で咀嚼して普通食を食べていました。

そこから急激に動けない状態を強要されたのです。病院での2週間、帰宅してからの1週間、主治医らがとった措置は、健康な人間でも衰弱死させるようなお粗末なものでした。その中で、脳幹近くに腫瘍を持った父が3週間生き延びたということは、まともな治療をしていれば、腫瘍の縮小により症状を後退させ、あるいは腫瘍と共存しながら治癒ができた可能性は小さくありません。脳幹まで損傷して復帰した例はいくらでもあるのです。

もし今の自分の知識で、父がたった今、全く同じ状況で、同じ告知を受けたら、9割以上の確率で全快させる自信があります。せめて、もう一度口がきけるように、という程度ではなく、運動能力の回復まで十分に考えられます。

発病に至った要因や、入院中に急激に体調が変わった要因は、整理するとかなり絞られてくるため、それを回避ことさえできれば、入院するまで維持していたハリのある肌艶、血色、生き生きした表情、治る意欲を生かすことはできたはずなのです。

ここでは、同じ立場に突然たたされた人がいたら、高確率で救うことができるということを知って欲しいので、できるだけ医療や介護という点からみた、何をなすべきだったか、を検証します。





もし告知が今日だったら何をするか
脳腫瘍や脳梗塞では初期の症状が、言語障害というのは多いようです。それも、聴力や理解力は最後まで衰えない場合が多いので、インプットができるのに、喋ったり書いたりするアウトプットができなくなる、とても辛い状況が進行します。舌や指が思うように動かなくなるだけでなく、喋ろうとするときに言葉が思い出せない、という症状が悪化するようです。


まず病名や病状を告知することになりますが、このときに、必ず、一般に知られている死の病の概念をとりはらい、治せる治療家も治った患者も大勢いることを伝えます。告知する人間が現代医学にマインドコントロールされて「不治の病」という悲劇の妄想に陥っている場合は、告知はしないほうが賢明です。「このまま助からない」と思うそのショックだけでも、患者の免疫力は格段に下がることがわかっています。

まだ意志疎通がスムーズに行える間に、お金をいくら持っているか、取り崩すときには、どこから引き出すかを確認しておきます。看護・介護する側に経済的余裕が十分あるなら別ですが、支出への対策を立てておくかおかないかが、命の明暗を分けることになります。

本当に有効な治療法は、すべてが高額なわけではありませんが、保険適用できるかできないかに捉われると、大きな判断ミスを起こしかねません。

実際には効果が薄く、患者を苦しめる確率が高い三大療法のほうが、保険適用しても自己負担額がバカにならないのですが、自由診療は1回あたりが高いので、長い目で見て低コストで済む場合でもそれが判断できなくなります。高齢者は現在の1割負担と比較するので、毒にしかならない一般的な治療法を選びがちになります。

家でできる自然治癒力増進のため、吸収率の高いビタミンCサプリを取り寄せ、食事10分前に飲ませるようにします。また、アスコルビン酸(ビタミンC)粉末を購入して、料理のとき、酢の物やサラダに使います。抗酸化力がアップして免疫力も高まります。

一方で、三井温熱治療器のような遠赤外線温熱器を購入し、患部を探るだけでなく、全身、とくに夏でも下半身に冷えがこないように温めます。ガイドブックにそって温熱器を使うだけで、患部がわかり、治癒に向い始める可能性は高いです。

こうしたことと並行して、代替療法で実際にガン患者を治癒している医師を探します。実際に検索してきて言えるのは、Googleなどの検索エンジン以上にいいのが、アマゾンでの書籍検索と実際の書籍購入です。ガンはそれほど恐ろしい病気ではないという結論に至っている治療家は、数千人単位で現代医学が治せない難病の患者を救ってきているのです。

進行ガンの場合は急を要するので、高濃度ビタミンC点滴よりも即効性があるといわれる、ビタミンCとビタミンB17を併用するインスリン強化療法を行なっている医師を探します。

放射線で体を傷つけるCTやPET、またMRIのような機器より遥かに安全で精密、かつ、前者機器では発見できない大きさのガン細胞でも探知できる温熱治療器やマイクロ波によって、腫瘍の位置を特定し、治療を開始します。

VC点滴療法を行うクリニックは元々西洋医学の保険医を兼ねているところが多いのもあり、経過観察にはCTを平気で使います。が、代替医療経験が豊富な医師は、温熱かマイクロ波なども扱えます。

父のための高濃度ビタミンC点滴療法は、交通の便のために神戸市内のクリニックを選びましたが、本気で患者を救う意思と経験がある医者を探します。本気になれば、都市部なら自宅から通える場所にいくらでもみつかるものです。

同じ点滴療法研究会の検索サイトから、例えば大阪守口市の乾クリニックがみつかります。車か電車で1時間半~2時間程度で行くことができる場所に、理想的な治療のメニューを揃えている医療機関があったのに、十分に探していませんでした。

やっと進行ガンの現実を知ったときには、インターネットが使えない病院で1日おきに徹夜の付き添いをすることになっており、正常な思考ができなくなっていました。なので、必要な調査は、告知を受けたら即刻すべてやることが必要です。

そろそろこの世から去ってもいいと患者本人が思っているなら別ですが、本人に治りたいという意志があるなら、ここまでは最初の一週間でもっていきます。告知が青天の霹靂と思えるほど、日常生活に支障が出ていなかったなら、まだまだ体は機能しているということです。それが非常に重要です。

患者の顔をじっくり見ながら話をすることもなく、画像データと統計の数値だけを見て話す医者の言うことを、そのまま真に受けるべきではありません。(そういう医者を信じ簡単に受入れてしまった人たちによって、そういう統計値は作られてきたわけです。)



少しでも麻痺が進んだら
やはり病院のリハビリ施設に連れていきます。病院の評判がよくなくても、リハビリチームは信頼されている場合が多いようです。リハビリの手法は、QOLを重視する欧州からの情報がとりこまれているためか、薬物療法の医者たちより、患者の生活・人生、そして人格を重視する印象があります。


父も家の近所にあった素晴らしいリハビリ施設に週3回通ったのですが、たった2週間半で行けなくなりました。主治医のH医師が紹介した病院からは通えなかったためです。なんとか家での介護を続け、リハビリを続けていたら、機能回復に向かった可能性は高いと思っています。

実際に、原因は脳梗塞ですが、父と同じくらい言語障害や体の麻痺が進んでいた知り合いが、そこで快復したという話を偶然知り、それが治ろうとする原動力にもなっていました。こういったことは、自然治癒力を大きく伸ばすのです。

脳がすべての指令を出し、逆行はないと考える時代は終わりました。家では私がヨガで習った方法で、手足や指をストレッチしていましたが、これは、逆方向から脳を刺激するためです。ヨガでは呼吸の仕方や体の緊張・解放のリズムを学びますが、これは、自分で気づきを得てからだをリセットすることそのものだとも言います。チェルノブイリなどの核事故の後、ヨガを行なっていた人に長寿が多いともいわれます。

なお、利き腕に麻痺が出始めると、トイレでの介護が必要になりますが、この場合、最初から大人のオムツを買っておいたほうがいいかもしれません。父の場合、ビタミンC点滴の日、帰路や帰宅後に対処するために、尿パッドなどを数種類買って、身内の介護師のアドバイスに従って色々やったのですが、双方にとって大変でした。入院してから「大人のオムツ」というものが別にあり、それを装着しておけば済むことだとわかりました。

尿意を伝えるたびに、トイレまで一緒に行ってできるだけ自分でさせるのが理想ですが、元々の頻尿、あるいは生活の変化のために、夜中でも起きることが多くなった場合、起こしたり起こされたりが必要な環境だと、介護する側もされる側もストレスが多くなります。いざとなれば、寝たまま、ただし何をしているか自覚を持ちながら、排尿してもいい、という状態があれば楽になります。飽く迄、腫瘍は後退して麻痺は治ると信じた上で行うなら大したことではないです。



脳腫瘍による麻痺が急激に進んだら
病院への入院はできるだけ最後まで考えないようにします。父は高齢で末期宣告だったためと、最初は告知しないつもりだったのもあり、がんセンターは最初から選択肢には入れていませんでした。これは既に、私自身が抗がん剤や放射線治療を全く信用していなかったのもあります。ガン専門医らは、もしガンにかかったら抗がん剤を使うかというアンケートで、使うという人はゼロだという調査結果をみたばかりでした。


我が家では、母が転んでケガをしたのをきっかけに、介護サポートを求めて入院先を探しました。が、実際には、家で介護するより、24時間交替でふたりで付き添うほうが、遥かに大変でした。(ふたりだけで24時間介護する大変さを訴えて主治医に病院紹介を依頼したのに、「完全介護を謳っているところでも24時間付き添いって普通ですよ」と知らされるのは、入院手続きを済ませたあとなのです。)

真夏に付き添う自分たちの食料まで炎天下の駐車場の車に積んで移動し、日頃の生活に必要なものはコンピュータも含めてすべて家に置いたまま行き来するのは大変です。付き添い中は、他の医療機関の検索や、退院手続に関することを調べたくても、スマートフォンしか手立てがありませんでした。これも命の明暗を分ける結果となりました。

そして、せっかくがんセンターを避けていても、患者を人体実験用の道具としかみなさない医者がいる病院では同じことが起こります。医者自身の人格を抜きにしても、現代医療では「治す」ということに対して感覚がマヒしている医者が圧倒的に多い構造上の問題があります。

父の場合は、明らかに意図的にムセ痙攣発作を半日以上放置して肺炎を作られ、退院できない状態にされたわけですが、ガンの直接死因を「肺炎」とされる例は非常に多く、家族が後々まで納得できない場合が多々あることもその後知りました。

意図的に肺炎にすることは、かなり横行しているのではないかと思われます。「患者さん本人のため」という名目で、絶食を強いられるので、必要とわかっているビタミンCの摂取も禁止されます。いわば「呼吸器」を人質にとられたような状態になります。

ガン患者も抗ガン剤治療のときに、健康食品や栄養素の摂取は一切やめさせられるといいます。体にいいと解っていることをやめさせてまで、正常細胞を損傷するとわかっている抗生剤や抗がん剤を、なんの防御もなく点滴投与するのです。患者の命よ製薬会社に送るためのデータ収集が優先されるからです。

人体実験というのは大袈裟な意味ではありません。高額の薬物を使用する場合、その医療機関にも、メーカーにも、そして許認可した国にも莫大なカネが入る仕組みがあり、個人を特定した調合の場合は、その個人データとともに、薬剤投与の結果が製薬メーカーに渡るので、これで儲けることを味わった医者ならやめられない、ということになります。

結局、後になってやっとの思いで退院させるときに、最初から24時間電話ができる訪問看護師を依頼したり、家での点滴が行なえることがわかりました。そして、吸引装置がなくても、肺に溜まった痰をもっと安全に取り出せることもわかりました。吸引はよほど上手な看護師でないと、気管に傷をつけては出血を繰り返すので、治るものも治らなくなるのです。

看護師らはナマの患者で最初の吸引を練習することも教わりました。父の2週間の絶食中、顔を憶えられないほど大勢の看護師が吸引しに訪れましたが、手慣れた人は圧倒的に少なかったのです。また退院する日の朝、これまで見たこともない想像を絶するような不器用な新人ぽい看護師が表れて、かき回していってくれました。(毎日見ていると素人でも違いがわかります。)帰宅2日めに咳き込んだ父の気管支から暗褐色の粘ついた血の塊が出てきました。


心的ストレスが原因ではない場合は内部被ばくと薬を疑え
安保徹先生や、福田稔先生、三井と女子先生をはじめ、実際にガンを発症した患者からじっくり話を聞いてきた人たちは、ガンの原因の大半は自律神経(交感神経vs副交感神経)のバランスを崩すストレスの多い生活であって、発がん物質などの外的要因は1~2割だといいます。(ただし、これは放射能事故前の話です。

発がん物質とされているものは、実生活ではあり得ないような量の何か(たとえば人間なら数百キロに当る魚の焦げなど)を大量に小動物に無理やり与えて実験している場合が多いので、それはもっともだと思います。

ガンをはじめ、体の細胞を損傷させて疾病を引き起こす活性酸素は、精神的ストレスでも発生するので、心的要因は大きいと思います。

が、父の場合、生来マジメで短気なところはありましたが、とくに19年の引退生活では好きな事を思う存分実践して、趣味を共にする友人も多く、どう考えてもガンを発症するようなストレスを溜めていたとは思えないのです。

どの医師も少し驚いていたのは、発病前年の4月の検診では全く異常のなかった肺に、1年という短期間で目立つガン細胞が育っていたこと。画像では見えにくかった腸からの転移も考えられまが、とりあえず「肺原発の脳転移」ということになりました。

(注熱療法を開発した三井と女子先生は、ご自身の治療経験から、「転移」というのは実はなくて、発がんするときには、既に体中に同様の兆候が出ているため、次々別の部位から発症すると言っていますが、それが真実ではないかとも思えます。転移のメカニズムはあまりに多くの偶然を重ねないと起こらないほど複雑で、ガン細胞が血流に乗って移動したというより、自律神経の乱れによって、体のあちこちの細胞がガン化していったと考えるほうが説明がつきます。)

CTでわかるほどに原発の肺ガンが育っていたということは、通常なら10年くらいかけて自分の免疫力が追いつかないほどガンが細胞増殖していたことになりますが、それも可能性が低い。どちらかというと、原発事故の翌年なので、1年で急速にガン発症する要因があったことも考えられます。

確率は低いですが、ものすごい高濃度の汚染大気を福島第一原発が放出し続けていた最初の3か月間、福島県の中通りや首都圏だけでなく、西日本も汚染大気が覆っているときが何度かありました。兵庫県でも北海道と同じくらいである平米あたり平均17メガベクレルの放射能が土壌から観測されており、これは東北や北関東の高汚染地より桁がいくつも小さいものの、過去とは比較にならない汚染度です。

父が毎年友人たちとツクシを採っていた場所では震災直後からツクシがなくなっています。

日中は外に出ている事が多かったので、関西圏が汚染大気に包まれている時、運動量が多かった父は、肺に放射性物質をとりこむ可能性が、一般の人よりは若干高かったかもしれません。

また、母の料理は魚が多いので、近海で獲れたものはともかく、スーパーの安売りで買った魚や、よく行っていた回転寿司で、腸から放射性物質を摂りこんだ可能性もあります。

元々、ガンなどの病気で亡くなる人が珍しくない後期高齢者世代だったので、311以降になにか目立った変化があったのかどうかはわかりません。中高年は放射能の影響は若年層に比べて少ないと言われています。ですが、実際には中高年層は心筋にセシウムなどが蓄積しやすいので、心筋梗塞などで倒れる例がホットスポット地では増えています

(福島第一の原発事故後は、大気や海水、汚染食品や汚染された木材、がれきなど、日本じゅうに撒き散らされているので、今後は身に覚えのない発症が年を追って増えることが予想されます。チェルノブイリ事故の後、近隣で汚染されたウクライナやベラルーシだけでなく、ヨーロッパ全域で内部被ばく症状が急増しましたが、東京を含む首都圏の汚染度は、ウクライナやベラルーシに匹敵します。ただし、ビタミンCなどの抗酸化物質をたくさん摂ることで、被ばくは軽減できます。)

内部被ばく以上に、私がいま疑っているのは、脳腫瘍による言語障害が発覚する前年に、その後終末期の主治医となったH医師から検診で血中の脂肪濃度が高いと診断され「中性脂肪の薬」の処方を受け、1年余り飲み続けていたことによる薬物代謝です。

父は、医者と薬に頼らず生きることを健康の拠り所としていたため、実生活になんの問題も出ていないのに、薬を毎日飲むようになったことで、この医者を信頼していなかったといいます。

父の日記では、脳神経外科で末期告知を受ける数日前に、検診でH医師に会った記録があり、「すこぶる良好。来月からの来院見合わせ。薬4か月分処方」と書かれています。体調が悪くもないときに、薬を出し、体のあちこちにガン細胞が増殖していたときに「良好」と診断するような医師にお金を払ってお世話になっていた事になります。

血圧にしろ、血中の物質の濃度にしろ、そもそも別のところに要因があり、体はそれを守ろうとして圧力や濃度をあげるわけです。現代医学の標準的な保険医は、根本原因を考えることなく、その表面の症状だけを無理やり抑えつけようとしますが、これは長期間続けると体には大変なストレスになり、ガン発症のもとになり得ることもわかってきています。

恐らく、高齢者の場合は、医者からもらった薬を飲むのはありふれたことであり、ガンやその他の成人病にかかることもありふれたことなので、相関関係を調査することがないのかもしれませんが、調査を行なえば結果は出ると思います。



それでも入院し、絶食・点滴生活になったら
抗生剤投与にはできる限り反対し、並行して院内でビタミンC点滴する方法を探します。少なくとも経口摂取を続けます。医師の多くは栄養剤、特にビタミンの重要性を不当なまでに過小評価します。

また、肺炎や気管支炎と診断されても、それが軽減した時点で、自宅でビタミン点滴が行なえる手立てを考えます。そのためには、保険医でビタミン点滴の自由診療も兼ねている医師に相談する必要があります。ビタミン点滴ができる医師の支援を仰げるなら、抗生剤投与を強行しかねない病院から即刻退院させることができます。


入院すると、多くの人が、入院前よりも体力を奪われる状態に置かれるのですが、酸素マスクをつけていても、根本的な改善をなんら行わないので、低酸素状態が悪化する場合が多いのが一因です。吸入する酸素の量を上げる一方で、深呼吸を繰り返すなど、自力で酸素をとりこむ力を弱めてしまうのです。

そのため、退院させても通院する体力が残っていない場合は、自宅でまず栄養補給が必要になります。今は、保険医が保険適用された療法と自由診療の療法を組み合わせることがなぜか「混合診療に当たり違法」ということになっていて、コストパフォーマンス上、一番良いと思える療法が組合せられないという悲劇があります。この悪法によって一番守られるのは、患者ではなく本気で患者を治すための研究をしない保険医の利権です。

でも、どこで「違法」と見做すかは、医師会の中でも分かれており、ひとりの同じ医師が両方を同じ建物内で入り口を2つに分けて行うことも今は可能です。厳密に言うなら、一般の保険医がインフルエンザワクチンの接種を行なうことも混合医療なのですが、それは認められています(つまり保険医の利権が守られるならいいわけです)。ただし、保険医と自由診療の医師と別々に診てもらうのは当然ながら患者の自由です。

日頃の体位交換や点滴針を刺すなどの医療行為や看護を保険医が手配する訪問看護師チームに依頼する場合、点滴のビニール針を手の静脈に残したまま「ロックオン」、つまり、チューブの先だけくるくる巻いて、針と一緒にテープで止めておくことは、患者の家族が教えて貰って行うことができます。

そうなると、点滴のために通院するだけの体力が回復していなくても、購入してきて自宅で自分たちがお金を払ったチューブの先に、ビタミンCの点滴溶液を刺すことができます

それができるかどうか尋ねれば「そうしている患者さんもいる」と喜んで協力してくれる医師でも、自分からこの案を話してくれるとは限りません。自分からリスクを取りたくない医師には、患者・家族の側から色々質問しないと情報は入りません。

保険医療しかできない医師を主治医に持ったら、それだけで、命の選択肢が限られてしまいます。保険医は、ビタミンCの投与は1日2グラムまでしか許されておらず、これは、健康な人が最低必要とする量でしかありません壊血病にかからないためには1日50mg程度もいいですが、全身の細胞を健康に保つにはとても足りません)。

父の場合は、実際に効果が出ている高濃度ビタミンC点滴療法で、75gの投与でも血中濃度が飽和状態にならないほど、酸化ストレスによる消耗が激しいということまでわかっていたのに、保険医はそのことを一切考慮しないし、栄養剤というものを根本的に軽視しています。

絶食のために消化器系がマヒしてしまい、帰宅後も飲食が不可能になっていることが判明しても、点滴液に入れられた唯一の栄養剤はブドウ糖でした。これはガン細胞のエサであり、単独で与えるということは殺すようなものです。ビタミンC点滴液を合法的に入手することで頭が一杯だった私は、ブドウ糖に関する情報が不足していました。

また、死の前日にわかったことですが、帰宅した日から、患者が必要とする水分の半分の量しか点滴されていないことがわかりました。ずっと呼吸が苦しそうだった大きな要因のひとつが水分の不足だったのです。医師が問診後に「あと一週間」と言ったときには、それを実現するために点滴液が調整されるということに気づきませんでした。(余命1年とか3か月、6か月などというのも、先輩医師らが何をするか見ながら育った医者たちが、プログラム通りに死なせる方法をとっていると考えたほうがいいです。告知通り当たることが多過ぎるみたいです。)

実際、病院で初めての痙攣発作のあと17時間、モニタのケーブルや点滴のチューブに繋がれてあまり寝返りも打てない状態で放置された後でも、入院4日めの父は、まだ皮膚も強く、褥瘡はどこにもありませんでした。絶食させられるまでは、健康な時以上に経口で栄養補給するように心がけていました。

その後、退院までは2~3時間おきに看護師らが体位交換してくれていたものの、12日後に帰宅したときには、背中の皮膚はひどい褥瘡ができており、エアベッドの上に寝かせるのも痛ましいほどでした。一日のビタミンCの投与が栄養剤の点滴に含まれるたった2グラムでは闘病以前の問題として、皮膚の細胞の強度を維持するためには全く足りていなかったわけです。

ビタミンCが皮膚や骨、血管壁のコラーゲンには必須で、細胞結合を強くすることや、褥瘡を予防・治癒することは、すでに公式に報告されているにも関わらず、今でも予防・治療法として保険適用されず、この重要性を認識する病院は少ないのが現状です。

父の場合は、絶食開始後まもなく、唾液や消化液が出なくなったことにより、本当に飲食ができなくなってしまいました。唾液と一緒にわずかな水分を飲み込ませることも、それができる経験豊富な看護師でなければ不可能になっていました。

消化器の働きがこのような状態でストップしてしまうと、免疫システムが働かなくなっていくので、非常に危険です。人間の体は、それぞれ必要があって複数の役目をこなしている臓器が多いので、飲食をやめたら栄養を点滴で入れればいいというものではありません。でも、それを平気でやるのが「標準医療」だと思っておいたほうがいいです。

とにかく、病院から迅速に連れ出さなかったことが、その後も病院側の横暴を招き、命の明暗を分けることが続きました。



MRSA用の抗生剤投与を打診されたら全力で退院させる
MRSA対策剤に関しては、前記事でも触れました。酸化ストレスを最大にし、急速にガン細胞を増殖させた原因は、この危険な薬物と栄養不足が最大の原因であったと考えています。

MRSAというのは黄色ブドウ球菌といって、1990年ごろには、院内感染の元になる菌として大々的に論文発表されました。当時、医療関係の会社に勤めていた私は英文で読んだことがあるのですが、簡単に感染してしまう恐ろしい病気という印象でした。

が、その割には、MRSAによる院内感染のために患者が重態になったり死亡したというニュースは耳にしないのです。恐ろしい病気が感染したという報告はたとえ僅かでも、製薬メーカーには大きな宣伝材料になるので、日本じゅうで知られていてもおかしくないのに、です。聞くとすれば、末期にMRSA対策剤を打たれていた家族がいる、という話ぐらいです。宿主扱いで本人にはリスクしかないこの危険な抗生剤を打たれていた人の話ばかりなのです。

院内感染を防止するという名目があるにしては、看護師らが如何に他の入院患者への危機感を持っていないかは、見ていてよくわかりました。父が宿主にされてからは、看護師らは入室するときビニールのエプロンや手袋、キャップなどを余分にとりつけ、出るときに室内においた空き箱に捨てていくのですが、それを厳重に隔離することはないのです。

また、私たち家族も、父の取り残された痰をとるための鼻孔や口腔ケアで、指を突っ込んだりすることを知っているのに、共同のトイレは自由に使えるし、戸が開いている向いの部屋に入って椅子をとってきたりなど簡単にできる状態でした。

このMRSAは常在菌で、健康な人でも体内に持っているものなのです。院内感染がそれほど恐ろしいものであれば、入院患者や医療スタッフ全員の唾液などを毎日検査するべきだと思われますが、調べるのはたまたま吸引を受けるようになった患者や、よそから移ってきた患者の痰や血液だけ。最初から誰を犯人扱いするか決めているようなものです。

実際、絶食・点滴生活が始まっても、ベッドの上で体を起こしたり、表情で感情表現できていた父は、MRSA対策剤を打たれるようになった翌日から、覚醒できなくなりました。起きようとはするのですが、2、3秒ごとに気絶してしまうので、体を起こしていることができなくなったのです。

すでに言葉が不自由になっていたので、私たち家族も何がいつ始まったかはっきり認識できていないときでしたが、後から思うと、MRSAの抗生剤を打ち始めた翌朝に、大声で泣いたのが最後の感情表現となりました。

前日まではまだ起きようとして体がなんとか動いていたのに、言葉のかわりに動いていた筋肉の力もすべて奪われていくことがわかったのだと思います。腫瘍による麻痺ではなく、薬を入れられる度に、体の自由がきかなくなっていったわけです。

それだけでなく、40度近い高熱が出るようになり、肩や首から頭にかけて、痛々しいほどしょっちゅう痙攣するようになりました。体が抗生剤の毒と闘っていたと思われます。腫瘍だけならこんな症状は出ないのです。

8時間効果があるといわれるMRSAの抗生剤は、午前9時と午後6時に点滴投与されるので、夜中の1~2時ごろに目覚めて、朝まで苦しさに呻き続けるようになり、吸引を求める回数もまた増えてきました。1週目は付き添っていても、夜には仮眠ぐらいはとることができましたが、2週目はこのために、徹夜覚悟となりました。

病院側でもただでさえ負担が大きい夜勤の看護師らに重労働を押し付けている構図です。

父のことを伝えてある開業医ふたりとも、退院のときにこの措置を知らせたとき、「えっ、MRSAをやられてしまったんですか」という反応でした。「他の患者さんが感染しないようにということでしょうけど、少しは父の体のためになったのならいいですが?」と私が言うと、「それはありません」と完全否定。

医薬関連に勤める知人に話したところ、同様に驚き、MRSA対策剤は、免疫力が落ちている宿主とされた患者には非常に危険な薬であると聞かされました。製薬メーカーも、使用した医療機関も、許認可した国もみんな儲かるような仕組みがあるということです。

患者や家族がもっと賢明になって真実を理解し、このような薬物投与は違法にするべきです。少なくとも、退院という選択肢があるときに、危険な薬物投与を不十分な説明で行なった医師や医療機関は処罰されるべきです。

MRSA対策剤は、その抗生剤を打たれる患者本人に及ぼすリスクは全く考慮されておらず、その危険性も全く説明されません。ただ、看護師らがビニールのエプロンやキャップを付けて、部屋を出るときに室内に用意したゴミ箱に捨てるようになるため、「驚かさない様に」と事前に説明があります。

私の場合、病院での担当医に呼び出され、MRSAが発見されたのでそのための抗生剤を点滴投与したいが、尿に排出してもよいかと許可を求められて意味が解らず、「排出せずに体内にとどめるわけにいきませんよね」などと返しながら、許可のための文書に署名したのです。が、このときの署名文書だけが後日取り寄せたカルテのコピーから漏れていたのです。

事務室に経緯を話し、当時の担当医に確認して欲しいと頼んでおいたところ、「抗生剤を投与するのに許可は必要ないのでそのような文書はない」との回答。百歩譲って署名がなかったとして、これでは、呼び出されて説明を受けたこと自体まで否定されているわけです。それがなければMRSAという言葉さえ知らされていないはずなのですが。

こういったことが行なわれるとすれば、患者と家族は病院側に、どうせ訴訟は起こさないと舐められていると考えたほうがいいです。医療訴訟を起こしかねない患者家族にはそれなりに用心するものですが、どうせ末期だと思って医療機関側にすべてをゆだねているような場合は、人体実験として価値が出ます。

これは、大袈裟な意味ではなく、医療業界に詳しい人なら実際の例を当り前に知っていることです。

実際、我が国では末期患者や犯罪容疑者らは、合法とはいえない方法で、医療ビジネスの実験台になっていることは多々あり、裁判でも問題になっているのですが、死刑囚などの場合は、結審の前に刑を実行してしまうような暴挙も起きているのです。重病で入院するときには、この意味を考えたほうがいいと思います。



入院の前に、他の医療機関の療法を継続させられるか確認する
飽く迄、入院が避けられない場合ですが、例えば栄養療法の点滴などのように他の医療機関で効果がみられたことを継続したい場合、順天堂のように、その継続を受入れる病院はあります


納得できる理由もなく、院長や担当医がそれを拒むのであれば、患者の治癒を第一に考える姿勢に欠けているので、入院はやめたほうが無難です。

父の最初の担当医はあまり融通の利かない真面目な内科医、という印象でしたが、高濃度ビタミンC点滴にこだわる理由を理解してくれたようで、外出許可をとって移動すると患者の負担になるので、先方から点滴液を購入してきて、ここで点滴してはどうか、と2週めの半ばに手配してくれました。

会計が別であれば違法な「混合医療」とみなされない、と判断してくれたからですが、この担当医は翌日、父の担当を外され、若い院長が自ら担当医(院内「主治医」)となることを、私たちを部屋に呼びつけて宣言しました。担当医には「勝手な事をした」ときつく言い渡した、とのことでした。

ビタミンC点滴後、父の顔色はよくなり、初めて吸引を拒否し、痰を自力で全部吐き出し、呼吸が目に見えてスムーズになったのですが、この院長は主治医変更宣言から一度も父の顔さえ見にきませんでした。ただ「現代医学の常識では考えられない」と繰り返すのみ。

この院長は、「通常、点滴は生理食塩水で行うのに、精製水を使うなど非常識」と言うのですが、これは100gのアスコルビン酸を入れたら食塩水では濃度が高すぎるので精製水を使うわけです。調べれば判ることですが、MRSA対策剤の人体実験データ収集時に、余計なことをされたのがよほど気に障ったのでしょう。

院内でのビタミン点滴が許可されないなら、外出許可はすでにとってあるからクリニックへ連れていくと話すと、そんな「常識では考えられないことをするなら外出も許可しない」との暴言。ここに置いていたら殺されると思い、これによってすぐに退院手続を開始しましたが、事務局が開いている時間の申請で、申請翌日にしか出られない、という縛りがありました。

また、病院を紹介した主治医に退院手続を依頼したのですが、担当病院名を記入しないと退院できない規則があるそうで、時間がないため、今から逃げ出そうとしているその病院名を書いてもらうしかありませんでした。「名前を借りるだけだから。実際には退院後に別の病院へ行ってもかまわないから」ということでしたが、なぜ、それほど色々、患者や家族を却って苦しめるような規則でがんじがらめになっているのか理解に苦しみました。結局、自分たちで体験しなければ、医療体制がどれだけ狂っているかわからないわけです。


患者本人の意志が読める人間が意思決定を行う
これは非常に重要なことですが、患者に言語障害が出ている場合、「自分だったらどうしてほしいか」ではなく、患者の性格であれば今なにを訴えているのか、が理解できる者が意志決定を行なわなければ、生涯悔いを残すことになります。

2012年6月20日、父の精密検査のために母と一緒に付き添っていった脳神経外科で、最後に診療室に残されて、医師からの告知を受けたのは私でした。私は家族に隠し事するするという発想自体がないのですが、このとき、医療の現実とその裏側を理解できていない母にそのまま話をしてしまったことを後になって心底後悔することになりました。

脳神経外科の若い医師は、MRIとCTの画像を見せながら、腫瘍の存在場所と影響が出る機能を簡単に説明し、「1年持つかどうかわからないので、ホスピスかがんセンターに行ってもらうしかない」と告げました。こんなことしか言えないのが医者なのかと改めて思いました。

現代医療が匙を投げた多くの難病患者を救っている医師や治療家と違い、患者本人にじっくり問診するようなことはありませんでした。この頃すでに多くの人が代替医療で癌を克服していたはずですが、そういう情報も一切出ませんでした。この医者もそうだったのでしょうが、私の家族・親族は皆、終末期の脳腫瘍が治るなどというのは奇跡でしかないと思い込んでいたし、今もそうです。

私はこの頃まだ、MRI、CT、PETのような画像検診に誤診が多いことは知りませんでしたが、社会人1年目から、医者に余命告知されて代替療法で完治し、その後何年も元気でいる人の話はいくつも読んできていました。

本人がそろそろ死にたいとでも思っていたなら別ですが、健康で長生きするために長年努力して人生を楽しんでいる人間が、しかも、足腰からではなく、言語表現の能力から徐々に奪われていくのは、なんとかしてやりたいと思いました。高濃度ビタミンC点滴のメカニズムで考えれば、脳の腫瘍も後退させられると思いました。つまり進行スピードの時間との勝負だということで。

ガンや脳腫瘍という言葉を使うと、一般人の固定観念である「ガン」、つまり私が知っている治癒可能な病ではないものが伝わってしまうので、それを避けるために、脳がどのようにまだらに損傷を受けているかを説明し、手術しにくいことを伝えました。

そして、リポスフェリック・ビタミンCを購入し、それを飲ませるようになったときに、父に本気で病気と闘う気があるかと尋ねました。お父さんがもういい、と思うなら無理しなくてもいいけど、と添えて。父は穏やかに「そら、(病気と闘う意志は)ある」と幼児のような眼差しで答えました。この時は、足のふらつきもまだ軽く、右手の麻痺も起こっていませんでしたが、既に日記や手帳への記入ができなくなっていたことを後で知りました。ラジオ体操と趣味の畑仕事は継続していました。

(余談ですが、トイレ起きの時にビタミンC入りジュースを飲ませたあとの起床時は、頭がすっきりしているらしく、(ラジオ体操に)「よし、行ける」と呟いて立ち上がっていました。VC分子(C6H8O6)は血管脳関門をすぐ通過できるので、腫瘍に直接働きかけていたと思います。)

父の、この病気を克服する意志は、酸素マスクをつけるようになっても、病院で点滴チューブに繋がれても消えませんでした。MRSA対策剤で覚醒不可能にされてしまうまで、起きている間は何度も、自分の足腰を使ってベッドの上に座るリハビリをやろうとしました。

父は常々100まで元気に生きるというのを本気で目標としているようなところがあり、まわりもそれは無茶だとは思っていませんでした。

高濃度ビタミンC点滴療法だけでなく、温熱療法、免疫療法、刺絡療法など、実際に一般の医者に匙を投げられた患者を数多く救っている医師や治療家たちが、予防や再発予防として勧める健康法を父は、本能として実践していました。


規則正しい生活、適度な運動、自分で作った有機野菜を中心とした食事、腹八分目、風邪をひいても薬に頼らず食事や休養だけで治す習慣、心身共にストレスを溜めない生活。そして、晩年になるほど増々生きることを楽しんでいました。(享年78歳でしたが、身体年齢は常に10歳以上若く、皺はほとんどありませんでした。)

つまり、たとえもう一度言葉を喋らせることだけが目標でも、一旦、救うことができていたとしたら、その後は何を気をつけて再発を防ぐかはかなりはっきりしていたのです。

現代医学の医者や薬には近づけない。内部被ばくに備えて、ビタミンCを中心とした抗酸化物質をそれまでより多めに摂らせる。これだけです。